予知とか予言とか予測とか


東日本大震災からこちら、いろいろなところで、予知とか予言とか予測とかが飛び交っています。

そんな風に言われると、すごく気になるし、気になり始めたら、不安や恐怖が出てこないわけがない。

だから、私は、そう言うのを見るときは、できるだけ心の中に入って来ないように構えてから見ます。

別に、見なくてもいいのですが、なんとなく、仕事柄もありますし、まあ、真偽はどうかは置いておいて、ただ、興味だけです。

でも、そうではない方も沢山いるのもわかります。

そういうものに、半ばパニックになったりして、本来の自分を失う人たちもいます。

で、ここのところあまりにもその話を聞くので、それについて、思ったことを書きたいと思います。

ま。以下は私の個人的な世界観も含んでいるので、賛否両論あるでしょうが、あくまでも、個人的な考えですので、違うと思っていただいてもそれはそれで構いません。

まず「予測」は置いておいて、「予知」とか「予言」から。

どちらも、まったく無意味なものだと思います。

だいたい、夢やお告げやメッセージなんて形で高次の存在(たとえば神様や天使)が、そんなこと教えてはくれません。

彼らの、価値観(何が良くて、何が悪いか)というのは、人間のそれとは、全く違うからです。

神様なんかは、時々結構冷たいなと感じることもあります。

天使なんかは、お願いすれば、何とかしてくれることはありますが、向こうから勝手に、人間に干渉してくることは、まずありません。

もしあるとしたら、それは、天使を語るもっと次元の低い者の存在です。(それでも、人間よりも次元は上でしょうが)

で、偽物の彼らには、直接地震を起こしたり、金融危機を起こしたりすることは、物質ではないため無理です。

言葉は悪いですが、彼らに操られた人間が、そうする事はあるかもしれませんが。

まあ、たとえ、――まずほとんどないと思いますが――その予知や予言が本当に、正確な情報であったとしても、それに動じる必要は、ないのですよ。

もちろん、いろいろな観測や体験から導かれる「予測」に対しても。

確かに、死は親しい人との別離でありますし、死に至らなくとも災厄に遭うということは、これまでの生活の維持という面で不安になることもあるでしょう。

ですが、それは、金融危機や自然災害のみによってもたらされるものではないはずです。

大体、人間はいつかは死ぬのです。その時には、これまでの生活を手放さなくてはならないのです。

それが、いつなのか、というだけの話。

だから、いちいち流される予知や予言や予測に不安にならなくても、いいのです。

誰にだって、「明日は死なない」という保障があるわけではないのです。

今の生活だって、事故などでも変わってしまう可能性がないわけではないのです。

同じようにずっと続くと思っている方が、間違っているのです。

万物は流転してるのですから。

でもね、不安に思う方は、ある意味、幸せなのですよ。

大切なものを無くすかもしれないという不安があるということは、逆を返せば

「今、あなたは手放したくない大事なものを手にしている」

ということですので。

すべての物は変化する、という心理を知っていたら、いつかは手放さなくてはならないそれを、大事に思うでしょう。

だから、予知や予言や予測に不安や恐怖をおびえるのであれば、あなたが無くしたくないものに目を向けてください。

そして、今こそ、それを大事にしてください。

手放すときに、後悔しないように。

人生が終わるからと言って投げやりになってはいけません。

その予知や予言や予測が、当たるとは限りませんから。

今の生活が大事なら、その日が来るまで、大事なものを意識して同じように過ごすべきです。

予知や予言や予測というのは、まあ、基本は当たりませんが、もしも、不安になるような物に出会ったら、当たり外れを気にするのではなく、自分が何を今大事にして生きていくべきかを問いかけるいい機会としてとらえればいいのかなー、と思うのです。

ああ、そうそう。

大事な生活を守るために、行動することも大事なのですよ。