大変参考になるご意見をいただきました
ゲリラ一斉ヒーリングまだまだ参加者を募集中です。まず始めに、説明と詳細(こちらの記事)をご覧ください。
13日の満月のヒーリングも、参加者募集中。詳細と参加表明は、こちらの記事へどうぞ。
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先日の記事に、とても丁寧にコメントをいただきました。
スピリチュアルに対しては、いろいろな捕らえ方があると思います。
いろいろありすぎてどれを自分のものにしていいのか迷ってしまうくらい。
鍵でコメントいただいたのですが、情報の選択の際にきっと役に立つだろうと思いまして、記事への掲載をお願いしたところ、快いお返事をいただきました。
その全文をここで挙げさせていただきたいと思います。
名無しの鍵コメさんや、この方のように、スピリチュアルについて深い知識をお持ちの方々がこのブログを読んでいてくださり、ご指導いただける機会をいただけて、大変ありがたいことです。
私自身、まだ「スピリチュアルとは何ぞや」の域まで達していなくて、日々学ぶことばかりですが、まぁ、コンセプトは「皆さんとともに成長する」ということですので、これからもご指導いただきたいと思います。
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マキ様。
今晩は。いつもヒーリングでお世話になり有難う御座います、○○と申します。寒くなっていらっしゃいますがお元気でいらっしゃいますか。
今日のお返事にあったお返事の記事を拝見して、私も考えさせられました。
私は昔から今の言葉で言う「スピリチュアル」の世界に興味がありました。図書館の子どもの本の占いコーナーなどは好きでしたね。児童文学も未だに好きです。
ですので、長いお付き合いです。(笑)そういう意味では良くも悪くも盛衰を見てきました。
「情報の取捨選択」でもおっしゃられておりましたが問題点は複数あり、大まかに言えばこのコメントの方の言うように何を「スピリチュアル」と捉えるのか、という定義の違いがあることと、見えない世界に対する特殊性や神秘性がある、真偽の判断が出来ないこと、お金の捉え方、などがあるのだと思います。
また、スピリチュアルな世界に限らずですが、色々な方がいるのも事実です。その上でヒーリングを生活にするのはどうかという考え方もあると思いますが、それを言えば初めから信用できる職業は少ないと思いますので、人それぞれだと思っています。
私はネットで沢山の方のブログを(色々な分野で)拝見しますが、私はマキ様の姿勢が好きです。子供の親であること、生活を支えること、こういう世界に携わること、は別々でありますが、「一人の人間として」それをしていることが伝わって来ているので好きなのです。「人間としてしようとしている姿勢」がずっと感じられるので、いつも拝見していて成程、と思いながら拝見します。(笑)
「スピリチュアル」の問題点にある、「お金のこと」はこの世界に携わる方にとっては常に難しいことなのでしょうね。でもそれは、「スピリチュアル」に限らず技術職を仕事にされている方の悩みでも有ると思うのです。「物を物質化する」と言う点では技術職は見えますが、その間の手間は見えません。「スピリチュアル」の世界はまして「見えない世界」ですから「説明してもわからない」と思われることがほとんどだと思います。だからこそ、値段と考えた場合に悩むのでしょう。
私も「ヒーリング」を勉強していますが、何を根拠に何処で何に繋がっているか、はそれぞれ感覚でしか知りえないことでもあるで、「ヒーリング」に限らずですが、「人の命に係わる」方はひとりでいないほうがいいということも聞いたことが有ります。
そういう意味では誰かに確認してもらうということが大事なのでしょうね。(因みに私は理由がありヒーリングは勉強だけで仕事にはしませんと誓いを立てています)
「有難う」の日記ではマキ様とコメント主様の意見のどちらもある、と思いました。「有難う」は心の篭らないものでも言われて納得するものもあるし、それは文章であろうと直接聞くのであろうと、言われている状況によって様々ですから、例えば場合によって「有難う」を「言わざるを得ない」こともあるのだろうなと思います。「エネルギー」としては違うものかもしれませんが、「見えません」ので、相手にわかってもそれ以外の言葉がない、ということもあるでしょう。伝われば険悪になることある場合もありますし。
マキ様の言われていた、お花畑の有難う、は「その方の姿勢が」と言う意味だと私は受け取りました。「有難う」を言わないよりも言うほうがいいということもあると思います。しかし、何もかもに全ていつも有難う、と「思える」ならばそれでいいのですが、「思えないのに」思いたい、でも…という気分のときにいう場合は、怖れを伴っているので効果としてどうか、ということはあると私は思います。
コメント主様の言われた、「スピリチュアルにはまることが害を生み出す」と言うことを私なりに考えました。確かに「スピリチュアル」や「宗教」や「思想」など全ての知識は諸刃の剣、であると常に思っています。ですからスピリチュアルに限らず、何にせよ「自律して居なければいけない」と戒めています。「スピリチュアル」を利用する人の心のありようなのだと思います。それで自立できない方がいるのも確かですが、立てる方もいます。それだけを非難するのは簡単ですが、原因が複数あるので迷いますね。
「存在の種類」についてですが、「西洋系」と「東洋系」とあるのは多分、何処に繋がっているかです。個々の信念で分けることもありますし、こられるものの種類わけのようなものだと思いますよ。「西洋系は天使やそのほかの西洋にいると思われるもの」で「東洋系」は「龍や神々など」だと私は理解しています。「西洋系」は「お願いをかなえてもらうというもの」から正式に宗教の信徒として信仰している存在として指す場合もあり、様々です。「東洋系」はお願い事もしますが「個人的な鍛錬を考えることを主とするものだ」と理解しています。どちらにもいえることですが、それぞれの「教え」や「知識」や「知識に対する理解の差」によるものだと思います。
私自身、知識を公開することやヒーリングを仕事にしてお金を頂くということはどういうことなのかと考えてみることがあります。金銭やその方のあり方、クライアントを考えても迷うと思うだろうと想像しただけでも重いな~と思います。しかし、努力し習得した結果、それを仕事にするのであれば、努力した対価になることでもあると思います。何がしかの技術を習得するとき、どんな心情であれそれをなした方の努力があるからです。謙虚であることと、仕事の行為として行うことはまた別ですが、対価を払い時間をかけて努力されているからこそ「習得」できたのですから。「対価を払う」だけでもそれを用意する能力と、やる気がいりますから、頂いて当然であるという面もあると思いますし……個人で開発するにしても同じです。そこにつぎ込んだものはあるはずですから。努力をすれば頂いても良いということでもありませんけれどね。(苦笑)
そういう意味では、ヒーリングを仕事にしても、仕事に対する貴賎がないことや努力の意味は変わっていないと考えます。勿論、根底に「役に立ちたい」という気持ちがあり、そのままでいられるなら、ですが。あと能力を維持できなくなって止める決心がつくかどうか、もあるのでしょうね。全てが必要なのだと思うと私は「スピリチュアル」を仕事に出来ません…(苦笑) 逆にしていた仕事が「スピリチュアル」という分野に分類されるようになったということも世の中にはありますから、至る道は人それぞれなのでしょうね。それもあり、マキ様の挑戦は素晴らしいなと思います。
長々と失礼致しました。
最後まで話私の個人的な意見を拝読して下さってありがとう御座いました。これからもブログも私生活もお仕事も全て、マキ様を応援しております。
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該当の記事で、HITOMIさんが、「スピを特別にとらえなくっていいのでは?」とおっしゃっていますが、確かに、世の中に存在する「怪しい」ものは、「スピ」だけとは限りませんよね。
西洋スピと東洋スピの違いもありがとうございます。
世間ではそのように分けて考えていらっしゃる方が多いのですね。
とても参考になりました。
実際にスピを実践されて来られて実感されたことをお話いただいて、大変参考になりました。
私ももう少し考えてみたいと思います。
願わくば、この場が、スピを歩まれる方たちにとっての学びの場のひとつとなりますように。
鍵こめ ○○さん
自分の思いを言葉にしていくのは、いつでも難しいことと感じています。
私などは、記事を書くということでさえそうなのですから、コメントなどではゆっくり推敲する時間も持てないでしょうし、それ以上に難しいのではないかと思います。
それにもかかわらず、大変貴重で参考になるお話をわかりやすく丁寧に書いてくださってありがとうございました。
名乗りません さん
ご連絡を取ってからと思ったのですが、連絡先もなく、勝手に記事にしてしまってすみませんでした。
> むしろ本質は、自分以外の他所の存在に、ありがたい言葉をいただきに行く、エネルギーを貰いに行く、その心の姿勢が「依存」ではないか、という点をお伝えしたかったのです。
そうなると私も依存だと思いますし、それは危険だと思います。
自分の内側の奥になにがあるのかというところで、私と「名乗りません」さんの見解が違っているのかも知れませんね。
このあたりのことは、一人一人考えも違うでしょうし、自分の意見を押し付けようとも思いません。また、果たしてそこまでする権利が他人にあるのかどうか、疑問です。
「名乗りません」さんにとっては、スピは『特別』な領域なのだと思います。
> 最後に、何を求めて皆さんは伝授を受けたり、能力開発を行なうのでしょうか?
> 自分を癒したい、家族を癒したい・・・動機はそれだけでしょうか?
> 力を求めたい、優越感に浸りたい、・・・そういう意識が全くなかったとは言い切れるのでしょうか?
> そういう人の驕った意識に、魔はつけいるようです。
動機は人それぞれだともいます。
もちろん、そのような動機の方もいるでしょう。
いろいろ経験してみたい、教えてほしい、学びたい・・・、人よりも優れた立場になりたいも含めて、思いは人それぞれでしょう。
何を習得するにしろ、「それ」を身に付け(ようとす)ることで、その人の考え方も変わってくるかもしれません。
学んだ後に、自分に必要でないということがわかる場合もあるかもしれません。
ただし、それは、スピリチュアルな能力に限らず、どの分野でもいえることだと思います。
「スピリチュアル」を特別に考えなくてもいいと思います。
「魔」はどこにでも潜んでいますよ。
先の記事のコメント主です。
図々しくも再度登場して、申し訳ありません。
私としても影響を考えて鍵コメとしたのですが、記事として公開されてしまったのにはちょっと驚きましたが、名無しだったのでしょうがありませんね。
さて管理人さま、少しだけスペースをお借りします。
まずは、正神と繋がっているか否か、ということ。
この点は正直どうでもいいのです。
むしろ本質は、自分以外の他所の存在に、ありがたい言葉をいただきに行く、エネルギーを貰いに行く、その心の姿勢が「依存」ではないか、という点をお伝えしたかったのです。
喩え正神であっても、安易に頼ったり答えを求めるのはいけませんよ。
それと、「自分と繋がる」ということ。
これには、私も同意です。
ただし、内を突き抜けて、魂の種類云々になってくると、同意しかねます。
一歩間違えると危険思想ですよ。
地球に生かされている分け隔てない1人の人間として、仲間意識を持って謙虚に生きられることが大切ではないでしょうか。
最後に、何を求めて皆さんは伝授を受けたり、能力開発を行なうのでしょうか?
自分を癒したい、家族を癒したい・・・動機はそれだけでしょうか?
力を求めたい、優越感に浸りたい、・・・そういう意識が全くなかったとは言い切れるのでしょうか?
そういう人の驕った意識に、魔はつけいるようです。
・・・近くの縁ある人、あるいは自分自身を救えない者が、遠くの誰かを救うことなどおこがましくて到底できないな、と最近よく思います。
また長々と申し訳ありません。
お目汚し、失礼致しました。
マキ様。
早速の掲載、有難う御座います。
自分でも書いた後に見直して気付きがあり、また掲載して頂いた文面を何度も読み返すと誤字脱字がかなりあることに気付き撃沈しました……(苦笑)本当に申し訳ありません。主語と述語が…重複文字が…訂正は結構ですが、反省致しました。何度も文面や構成を錬り、文字校正をしたつもりでしたが不足していたようです。文章を書いた者として深くお詫び致します。
書いた文章のお陰で気付きを得、感情の揺さぶりをまさに体験している真っ最中で「わ~」といってじたばたしているところです。(笑)気付かせて頂き有難う御座いました。
マキ様とともに、また他の方とともにこれからも学ばせて頂きたいと思います。掲載に当たり、ほんの少しの知識ででえらそうなことをいってしまった、と改めて感じ恥じ入りました。改めて読み返すと判りにくいところもあり、また独善的な意見もあるので、もう少し謙虚にならなければと再確認致しました。この気付きもマキ様のお陰です。どうもありがとう御座います。
マキ様、どうか私のような外野に懲りずご自分の道を邁進して下さいませ。そして、もしよろしければこれからも、個人的にも、またブログの一読者としてもお付き合い下さいませ。どうぞ宜しくお願い致します。
長々と失礼致しました。