スピリチュアリスト


縁あって素敵な方とお話しさせていただける機会がありました。
そこで、私がずっと形にできないでいた、「スピリチュアル」についての答えが、形になったようなので、記録しておきます。

まず、「スピリチュアル」とはなにか、ということですが、私は「(その状況の中で)自分はどうあるか?」という姿勢について考えることではないかと思いました。

今の時代、特に今の日本は、不安も心配も尽きません。
生きていくのが嫌になることだって、正直、ないとは言えないくらい。

けれど、こんな中に自分が生まれたという意味について、しっかりと考え、それを真にもって生きていくことが、本当のスピリチュアルなのではないかなー、と話をしていて思いました。

幸せに生きる、というのは、とても大事です。
でもね、私たちにとって、なにが本当の幸せですか?

楽しいこと、嬉しいこと、そればかりを求めることとは、私はちょっと違うと思います。
そして、本当の意味での「スピリチュアルに生きる」ということは、そういうことからは、すこし離れている様な気がします。
自分の魂の本質につながって、そこが満足する生き方をするということではないかと思います。
自分の魂の本質は、自我の部分とは違います。
「欲」は自我の部分にあるので、その「欲」にしたがって生きるのとも違います。

「ありのままの自分」というのは、自我で欲にまみれた自分を肯定するための便利な言葉に聞こえますが、そうではありません。

自分自身の中核(魂、あるいはハイヤーセルフ)に繋がって初めて許される言葉です。

スピリチュアルの基本姿勢として、「良いものにフォーカスする」というのがありますが、それを「ネガティブを見ない」と履き違えている似非スピリチュアリストがたくさんいます。

私はそれに何となく違和感を覚えていたわけですが、汚い部分を見なくして、綺麗な部分しかみないのって、やっぱり偏っています。

その部分を見たくないというのは、ある意味「欲」なのでしょう。

ネガティブがあるからポジティブが浮き彫りになるのだから、ネガティブに目を向けないというのは、わがままな考え方なのだ思います。
ネガティブもシッカリ見て、それでもポジティブなスタンスでいるというのは、なかなか難しいことなのかもしれません。

ただ、スピリチュアルの基本は、きちんとそれを教えてくれているのですが、本質さえも理解できずに自分本位に言葉だけをとらえている似非スピリチュアリストには、わからないことなのでしょう。

その基本とは「グラウンディング」
「グラウンディング」とは、ただ根っこを張ってエネルギーをもらうイメージだけのことではなく、自分が今立っている地面(状況)をシッカリと把握するということです。

それを理解した上で、「自分はどうあるべきか」を考えることが、本当に「スピリチュアルに生きる」ということなのだと、改めて思いました。

世の中には夢のような事をスピリチュアルとおっしゃっている方も沢山いらっしゃいますが、自己満足なスピリチュアリストには、どうかお気をつけを。

いくら天使や神と繋がっていると言っていたとしても、彼らには本物の天使を見分ける能力はありません。
というか、そういう人にメッセージを下ろしているのは、天使を装う低級な存在の事が多いです。

綺麗なことしか聞きたくない方は、そういうところを選んじゃうんでしょう。

本物(のスピリチュアリストまたは高次の存在)と繋がりたいなら、まず自分がネガティブから目を背けないようにすることです。
その覚悟をもっていれば、似非スピリチュアリストのところに行かなくとも、また、特にスピリチュアルを意識しなくとも、高次の存在はあなたに手を貸してくれるのです。