下の子が、今日、こども園に初登園。
入園式はまだなので、預かり保育枠+慣らし保育期間ですけれど。
このために、作成した袋は以下の通り。
(まだ、このほかにナフキンとか必要だということに、昨日の夜、気が付きました!)
時間がない中、「あーん、持ち手を先につけておけばよかったー」「こっちの布が巻き込まれて縫われてるー」などと、泣きながら作りましたよ。
私にとってのミシンは、ラスボスの位置で、その中でも、トップ画像の弁当箱入れは、最強クラスの大物でした。
裏地付のバッグに、巾着タイプの布がついてるの。
中を見れば、手作り感がありありなのですけれど、これは、もうこれ以上きれいには作れないでしょう、ということで、完成。
他のは、裏地付なので、基本、ミシンの縫い目や生地のほつれなどは、全く見えません。
ぐるっと縫って、返し口から、内側を外側を引っ張り出すのですが、その時は、裁縫が苦手だから余計に、ひどく感慨深いです。
内側の世界が、外側になり、
外側の世界が、内側になる。
それだけで、今、目の前にあったものが、全く別の姿を見せるのですが、
心の内側の世界と、現実も、これと似ているなあと、ひっくり返すたびに思います。
まったく別のものに見えるけど、深くつながっている(というか、そのもの)。
私がいろいろと手をかけるのは裏側なのだけど、出来上がりを想像し、用意を周到に行えば行うほど、外側がきれいに出来上がっていき。
それは、未来に目標を持ち、心がけや、心を磨きつつ目標へ向かって一つずつ努力を重ねること、現実の世界が素敵になるということに良く似ているなと。
また、ミシンのあの単調なリズムは、すぐに私を心の中の世界に引き込みます。
まっすぐ縫わなきゃいけないのに、トランス状態になりかけてしまうので、ある意味、危険です。
これ、縫うラインとか気にしなければ、瞑想状態になれるような気もするのですが、縫うべきラインがあるから、ぎりぎりのところで意識をぎりぎり保ってられるというか。(てか、気にしなければ、居眠りになっちゃうかもしれないですね)
とにかく、ミシンでの制作は私にとっては、そういう意味も含め、スピリチュアルなイベントでありました。
しかし、年少さんが持つには渋すぎるバッグです。^^;